今日はお店の定休日で、私は電話で前もって連絡をして理事長に引き受けることを伝えた。
すると、理事長はとても喜んでいるような声で対応してくれた。
電話口だから声しか分からないけれど、声色で感情くらい分かる。
でも、あんまり期待されてしまうとかえって緊張してしまう。
大丈夫かな・・・私でもうまく話したりできるかな・・・。
そして、私は今理事長室へ来ている。
目の前には仕事を片している理事長が座っていて、私は立ったままその姿を見ていた。
座って待っていて構わないと言われたけれど、なんか失礼じゃないかなって。
「理事長、私でよろしければ何かお手伝い致しましょうか?」
「そんなことを君にさせるわけにはいかないよ。
気にしないで、ゆっくり座って待っていなさい」
「・・・はい」
こんなに忙しそうにしているのに、何もしてあげられないなんて・・・。
何かしてあげられることがあればいいのにな・・・。
お茶を入れるにしても、勝手にしたら失礼になってしまいそうだし。
座って待っていても、どう時間をやり過ごせばいいのか困ってしまう。
動いている方がいいんだけどな。
しょんぼりしながら、私はソファに腰かけて少しだけ俯いた。
このソファも立派で座り心地に違和感がある。
不快とかじゃなくて、普段こんな良いソファに座らないから、変な感じがする。
「やっぱり少し君にも手伝ってもらおうかな?
この書類を綺麗にそろえてもらえるかい?」
「はい!」
私は返事をして、すぐソファから立ち上がった。
そんな私の姿を見た理事長が、楽しそうに声を出して笑い始めた。
私、何かおかしかったかな?
私は、理事長の邪魔にならぬよう、書類を回収してきれいに整理整頓することに。
一体何の書類なのか分からないけど見ない方がいいと思って、ただひたすらトントン叩いてきれいに積み重ねていく。
こういった地味な作業も楽しくていいよね。
あっという間に片付け終わって、理事長がコロコロでスーツについたごみを取っている。
理事長ともあろうお方が、あの庶民のコロコロを使うなんて・・・親近感わくなぁ。
「さて、それじゃあ、まず教員の紹介をしようか。
私についてきなさい」
「はい」
私は言われるとおりにして、理事長の後ろをついて歩いた。
私の通っていた通信制高校は、生徒との距離を縮めるために教員室というものが無かったけれど、この学校にはちゃんと教員室があるんだ。
通信制高校と言っても、やっぱりその学校によって色々変わってくるものなのだと知った。
教員室へつき、理事長が教員を集めて私を紹介してくれた。
もちろん、教員免許を所持していないことも話してくれたし、どういった経緯で私がここへやってきたのかという事も理事長が話してくれた。
「神楽さきと申します。
毎週水曜日だけ参りますので、何卒宜しくお願い申し上げます」
失礼なことが無いようにと、丁寧な口調を心がけて深々と頭を下げて挨拶をした。
初日だから、何事もなく平穏に過ごさなければ。
目立つようなことをすれば、よく思われないことくらい私もよくわかっている。
いじめや嫌がらせと言うのは、子供たちの間に限ったことではなく、大人の世界でもあり得る。
だからこそ、第一印象は良く見せないといけないと思うんだよね。
すると、他の先生たちが拍手をして快く私を迎え入れてくれた。
よかった・・・何とか今後はやって行けそうな雰囲気だ。
「神楽さんは教員免許をお持ちではないから、毎週水曜日だけ担当してもらいます。
初めてなので、皆さんから彼女に色々教えてあげて下さい」
「宜しくお願い致します」
私は再び深々と頭を下げて挨拶をした。
分からないことだらけだから、色々教えてもらって覚えて行かなきゃ。
教員免許を持っていないことで、私をよく思っていない人もいるかもしれない。
どうしてこの人が?って思われているかもしれない。
それでも、引き受けた以上、中途半端なことはしたくないから。
理事長がそう言って立ち去っていくと、私の元へある女性教員がやってきた。
その女性は私よりもだいぶ年上で、いかにも経験豊富そうなベテラン教員に見えた。
「私は坂牧と申します。
あんまり緊張しなくても大丈夫よ。
私がサポートしますから」
「ありがとうございます」
「では、早速クラスに行きましょうか」
「はい」
よかった・・・一瞬嫌味とか言われるのかと思った。
普段こういった人達と話すことなんてないから、緊張してしまう。
何か変なことを言わないよう、言葉遣いには気をつけねば・・・!
私はその坂牧先生のあとにしっかりついていく。
何だかすごく緊張してきた・・・ちゃんと話せるかな?
しばらく歩いていくと、教室が見えてきて思っていたよりも静かだった。
坂牧先生がガラッとドアを開けて、中へと入っていく。
緊張しながら私も教室へと入っていくと、20数人という少人数だった。
私が通っていた通信制高校よりも人数が少ない。
やっぱり、先生が生徒と向き合いやすいよう、少人数制を取り入れているのかな。
「皆さん、おはようございます。
こちらは本日から入った神楽さき先生です」
「は、初めまして、神楽さきと申します。
毎週水曜日だけ皆さんの講師として勤めますので、何卒宜しくお願い致します!」
教室内が静寂に包まれている。
う・・・もしかして、私何か失敗した?
それとも、もともとこんなに静かなクラスなのかな・・・。
すごく不安になってきてしまった。
すると、生徒たちが拍手してくれた。
その様子をちらりと見ると、生徒たちは笑って私を見ていた。
よかった・・・しょっぱなから嫌われたのかと思った。
「神楽先生は大学出てるんですか?」
「あ、うん、短大なんだけど出ていますよ。
私も通信制高校出身だから、何だか懐かしく感じています」
「さき先生、話し方硬くない?」
「ため口でいいのに~!」
生徒たちが笑いながら、私に向かって言ってくる。
話し方が硬い?
一応丁寧な言い方にした方がいいかなと思って話したんだけど、硬かったか・・・。
でもいきなりため口っていうのも、馴れ馴れしくて良くないかなって思っちゃうんだよね。
皆がそれでもいいって言ってくれるなら、少しずつ崩していくようにしようかな。
いきなりは難しいし、みんなの事をもっと知っていきたいから、少しずつ努力しよう。
それからみんなに自己紹介をしてもらって、名前と顔を覚えて行く。
昔から何かを覚えることは得意だったけど、一気に20数名の顔と名前を覚えるのは、さすがに難しいかもしれない。
私、ちゃんとみんなの事を覚えられるかな・・・頑張るぞ!
「神楽先生は、通信制高校ってどうだった?」
「最初は何とも思っていなかったけれど、だんだん楽しくなってきたんだ。
友達が出来て一緒に遊んだり、部活動をしたりして・・・。
今では親友でよく連絡とったりしているよ」
「通信制高校って、進学できる?
私、大学に行って勉強したいんです」
「もちろん、通信制高校でもしっかり卒業すれば進学できますよ。
通信制高校も立派な学校だし、頑張った分だけ結果につながるから安心していいよ」
そう、私も最初は進学できないんじゃないかと思ってたんだ。
通信制高校って、その学校にもよるけれど毎日通学しないから、出席日数とか足りないんじゃないかなとか色々不安なことがあった。
でも、通信制高校だから学べることや新しい発見があったんだ。
私の知らなかった世界が、通信制高校にあった。
私が色々話していくと、みんなが興味津々に聞いてくれた。
こんなふうに耳を傾けてもらえるとすごく嬉しいし、もっと多くの事を話してあげたいなって思う。
最初はどうなる事かと思ったけれど、何だか良いスタートを切れたような気がする。
いつの間にか、この短時間で私の名前をみんなも覚えてくれたみたい。
まだクラスのみんなと話せていないけれど、これから少しずつ距離を縮めていけたらいいな。
「ところで神楽先生、今日はどうしますか?
少しだけ授業してみますか?」
「いえ、本日は授業風景を見学して勉強したいと思います」
「わかりました、それでは始めますね」
「はい」
私はそう言って、後ろの方へと歩いて行った。
前にいると邪魔になってしまうし、みんなのノート写しの妨げになってしまうから。
一番後ろに行って、坂牧先生の進め方を見学していく。
やっぱり、ベテランの人だから進め方とか教え方が上手だと思った。
私には到底マネできそうにない。
だけど、少しずつ真似してうまく進められるようになりたい。
私はメモ出来ることをメモして、そのまま夢中で書いていく。
頭で覚えると言うのは難しいから、しっかり書いて覚えておかなくちゃ。
家に帰ってイメージトレーニングをして、気持ちを整理して落ち着かなきゃいけない。
「先生、神楽先生が必死にメモしてます!!」
「熱心で感心なことです」
「あざまっす!」
「あははっ」
私が元気よく噛みながら言うと、みんなが笑った。
ちゃんとありがとうございますって言いたかったのに、緊張して噛んでしまった。
うー・・・失敗した!
でも、みんなが笑ってくれたし坂牧先生も笑ってくれているし、よかった。
今度から緊張して言葉をかまないように、気をつけなくっちゃ!
今後かまないように、ちゃんと滑舌の練習とかしておかないといけないな。